本を出すことは大変だ。

専門書と小説という違いはあるが、出版したい人は多いらしい。
http://www.yuzo.net/fc/ad/keiei/
日経新聞とかの広告にたまに自費出版できますみたいな広告が載っていることもある。


本来、本を出すことは大変なはずである。よい文章が書けても、本を出せない人は沢山いる。出したとしても、良書が売れないこともままある。私は自分で書いた文章が世に出て、人に読んでもらえる環境に我が身があることを常々幸せだと思っている。それはライターを始めて8年ぐらいになるが、今でも変わらない。


私は文章を書くときには常に初心を忘れることはない(はずだ!)。その初心とは、「自分の文章の先にはそれにお金を払う人がいる」ということと、「活字は盲目的に信じられることが多い」ということだ。


先に挙げたことは、文章を書くに当たって色んなことにつながる。文章自体の質を高めることはもちろん、内容を充実させていきたくなる。お金払ってもらうんだから、もっと沢山内容を盛り込みたいとか、読みやすくしたいとか欲望は色々だ。
文章を書いて少なからずメシを食うためには、読者に気に入られ、編集者に気に入られ、次の仕事に繋げる必要もある。そうしないと、物書きが好きな私に次の仕事が回ってこない。毎回ドキドキしている(笑)
バナー作戦や、著名人に帯を書いてもらったりして、自分の本(TCP/IP本)が売れるようにしたことも、そういったところから端を発している。


次の「活字は盲目的に信じられることが多い」というのは国民性だろうか?他の国の人がどうなのかは知らないが、日本では活字(有料限定かな)はかなりの信頼性がある。
新聞を疑う人や、教科書や専門書の内容を疑う人がどれほどいるだろうか?恐らくほとんどいないだろう。多少の疑問程度なら、払拭してしまうパワーが活字にはある。

私の各分野は専門的なことが多い。私の本を買う人、読む人が文章を疑うだろうか?いや、ほとんど疑わないと思う。(私の周りで買っていただいた専門家の方々は別です)わからないから買うし、知らないから買うからだ。だから疑いようがない。
また、活字に物申すには結構なパワーが必要だ。裏づけを調べたり、報告してみたり色々。

活字は盲目的に信じられてしまう。だからこそ、妙なことは書けないし、嘘も書けない。できる限り、間違いはなくしておきたい。ネットの文章と違って差し替えが利かないからだ。


そんなわけで(どういうわけだ。)、本を出すためには初心は忘れないようにしている。